奄美大島・龍郷町にある秋名集落。
毎年旧暦の8月初丙の日にアラセツ(新節)の行事として「ショチョガマ」と「平瀬マンカイ」が行われる。
今回は、「平瀬マンカイ」について書いてみる。
夕方、秋名湾に集落の人々はもちろん
全国から「平瀬マンカイ」をカメラに収めようと
カメラ小僧が場所取りでひしめきあう。
ダマリもこの頃は、一眼レフにはまっていて(それもフィルムw)
カメラ小僧に負けじと場所取りをして、撮影にこぎつけた。
望遠レンズでないと、なかなか難しい。
「平瀬マンカイ」は、分かりやすく言うと豊年祭。
ネリヤカナヤ(海のかなたの楽園)から神を招き、五穀豊穣を祈る祭事だ。
上写真に写っている奥の岩が「神平瀬(カミヒラセ)」、手前の岩が「女童平瀬(メラベヒラセ)」。
神平瀬には、ノロ役の5人がチヂンを持って登り、神事を唱える。
ノロとは、琉球時代に国家行事を司った神人である女性のことだ。
その間、女童平瀬にはクジ・シドワキ(ノロの補佐役)が登り、
マンカイ(招き)の手振りをし、歌に合わせて踊りがはじまる。
ノロ役5人。
とても神秘的な風景。
ダマリの祖母は、ユタ(琉球列島のシャーマン)とまではいかないが
毎朝白装束に身をまとい、神棚に向かって祈りを捧げチヂンを叩いていた。
奄美の八月踊り(豊年祭の踊り)は、集落によって唄も違えば、踊りも異なる。
大島紬の模様や、浴衣の模様も各集落様々だ。
八月踊りから六調(唄・踊り・蛇味線・チヂン・指笛・かけ声)へと踊り続けるあの空気感は、毎回鳥肌が立つ。
奄美の踊りには、女踊りと男踊りがあり、踊り方がちょっと異なる。
普段は大人しそうにしている、じいさん・ばあさんも
八月踊りとなると、キレッキレの踊りをするので驚かされる。皆んな上手でかっこいい。
奄美には、豊作を祈願するお祭りが沢山あるが
「平瀬マンカイ」はその中でもかなり独特で、琉球王朝の統治時代から行われていて
400年も受け継がれており奄美で最も古いといわれている。
秋名集落は、奄美では少ない米作りに力を入れている。
豊年祭が近くなると、わざわざ秋名まで出向き、稲穂を購入してくる人がいた。
陶芸家の友人は、秋名の田んぼから泥をいただき、それで茶碗作りに挑戦していた。
奄美に住んでいる頃は、なにもかもが普通の日常だったけど
こうしてシマを離れると、やはり神々に近いシマだとつくづく思うし
こういう伝統が永遠に残っていってほしいと強く思う。