以前からダマリはブログに書いているが
小学5年から、高校1年まで、光GENJIの大ファンだった。
田舎もんだったため、コンサートには一度も行ったことはない。
が、離婚して離れて暮らしてた母が
光GENJIのカセットテープ(のちにCD)、ビデオテープを購入して送ってくれていたため
常に光GENJIの波に乗っていた。
そんなダマリは、学校にまで光GENJIを導入し
先生たちを困惑させていた。
●小学5年
アイドル雑誌の「平凡」「明星」などの付録だった歌詞ブック。
光GENJIのデビュー曲である「STAR LIGHT」の歌詞の英語の意味を知りたくて
担任の先生に、聞いていた。「勉強もそのくらい真剣になってくれ」と言われた始末。
先生は、そんなダマリを見兼ねてか、
国語のテストでこんな漢字の問題を出してくれた。
問1 あの人は、諸星和己に(に)ている。
この問題を出してくれた先生の気持ちがとても嬉しかった。
図工の作品も、全て光GENJIモチーフで作成し
次から次に、光GENJI作品が増えていった。
クリスマス会の出し物も、クラスの発表会も、全て光GENJI。
もちろん、自分たちで7人のグループを作り、休み時間にはダンスの練習。
光GENJIが一度だけ鹿児島にコンサートにきたことがあり、
空港に光GENJIがくる!という情報が飛び込んできた。
空港は、走って5分位の場所にあるため、近所の仲間を集めて走って見に行った。
が、結局会えなかったけど………。
雑誌の切り抜きをスクラップして、みんなに見せていた。
「そんなものは持ってくるな」と先生に言われていたけど、続けていた。
最終的に30冊くらいになった。
●小学6年
小学5年の時の担任が引き続き担任となり、
家庭訪問で、ダマリのポスターだらけの部屋を見た先生は絶句。
「ちょっと減らした方がいいんじゃないか?」と言われたっけ。
そして卒業式。
光GENJIの名曲の中に「Graduation」という卒業の曲があり
これをどうしても、卒業式に流してほしい!!!と担任の先生にお願いした。
最初は断られたけど、結局、卒業生退場の曲に「Graduation」が流れ、ダマリは大号泣。
体育館出口に、担任の先生が立っていて、ニコニコしていた。ありがとう先生。
●中学1年〜中学3年
ダマリの頭の中は、とにかく光GENJI一色で、
小学5年ごろから描き続けていたマンガには、光GENJIのキャラしか登場しなくなった。
光GENJIファンを次から次へと増やし、
ダマリ家でビデオの上映会をよく行なっていた。
みんなでキャーキャー言って楽しんでいた。
そして何より、中学3年の体育祭で、中学の女子全校生徒で創作ダンスをするのだが
その創作ダンスのリーダーとなり、光GENJIの曲を採用。
おまけに、中学3年の応援団長となり、応援合戦の曲にも光GENJIの曲を採用という
今思えば、どこまで光GENJIを学校で使い倒すんだ!?という勢いだった。
音楽の先生にも光GENJIを聞かせ、「ボーイソプラノが綺麗だねぇ」と言われ
自分のことのように嬉しかった事を思い出すw
そして、もちろん中学の卒業式にも光GENJIの曲を使用。
卒業生退場の曲には採用してもらえなかったが、式の間に流す曲に紛れ込ませた。
今現在、ダマリ41歳。
あれから30年も月日が流れているけど、相変わらず光GENJIをBGMにして仕事をしたりする。
そして、1曲1曲に思い出があり、仲間のこと、先生のこと、
学校で過ごした日々を思い出しては心が穏やかになる。
いつかTVで7人が揃って登場することを願って。