2018
25
Aug

ダマリ紀行

[日本_奄美大島]カトリック西阿室教会のマリア観音像

ダマリは、鹿児島県奄美大島に約11年間住んでいた。

島に移住した当初、車で島中をあちこち回って探索した。

中でも、カトリック教会巡りは、なかなか楽しいものだった。

 

教会巡りにハマっていたある日、「珍しいマリア観音像がある」と、

カトリック古仁屋教会の神父さんから聞いた時は、

もう冒険魂がうずきまくった。

 

あまり知られてはいないが、奄美大島は、カトリック教会が多い。

現在、奄美大島にあるカトリック教会は31カ所。

なぜ、ここまでカトリックが浸透したのか?

 

西南戦争で鹿児島県側が政府に負けると、ようやく島の黒糖も自由に売買できるようになったが、

その後も県や警察によるさまざまな圧力を島民らは受けてしまう。

万民は平等という「西洋思想」に、島出身の有力者らはキリスト教に期待を寄せた。

 

プロテスタント、ロシア正教など

キリスト教各派が鹿児島県本土を既に布教していたが、

奄美からの要請にいち早く応じたのがカトリックだったようだ。

 

母が幼い頃の話を聞くと、教会にいけば必ず食べ物を食べることができたそうで

学校が終わると、教会へ遊びに通っていたそう。

母の兄弟も皆、洗礼を受けている。

 

ダマリが奄美に住んでいた頃、奄美で一番大きい「カトリック名瀬聖心教会」が近くにあり

朝、教会の鐘が鳴り響くのがとても好きだった。

そして、苦しくなった時はいつも、教会にかけこんで、精神を落ち着かせたものだ。

 

「マリア観音像」は、奄美大島本土から、さらにフェリーで渡った

加計呂麻島の西阿室集落の教会にある。

さっそく、行ってみることに。

 

 

奄美の教会、特に集落の教会は閉まっていることが多い。

この日も開いてないかもな。と思ったが、扉は開いていた。

 

 

小さい教会だけど、とても素敵。

カトリック古仁屋教会を訪れた際に、神父さんから、こう教えてもらっていた。

「入って右側に、赤い布を被ったものがある。そこに、マリア観音像はいるよ。」

 

ダマリ「布をとって、見てもいいのですか?」

神父「出して、かまわないですよ。ちゃんと元に戻しておいてくださいね」

 

その会話を思い出し、入って右側の赤い布を確認した。

 

 

赤い布をとると、マリア観音像が眠る真鍮の入れ物が。

ダマリの心臓はバクバクである。

 

 

パカッ!

 

 

すごい。なんて美しいのだろう。

 

このマリア観音は、日中戦争に従軍した池田之応氏が

昭和18年に中国より帰国する際に持ち帰った、陶器製の子持ち観音像。
池田氏はその観音像を持ち帰り、部屋に飾っていた。

すると、西阿室集落の占者・禱直清氏が「この像を譲ってくれ」と望み、

占いの折に霊力を受ける神として拝んでいたようだ。

そんなある日、禱氏の養女の夢の中にこの像が現れ、

「マリアでござる、マリアでござる」と言ったそうで。

 

禱氏は奄美大島の名瀬に赴き、カトリック教会を訪ね、ジェローム神父に西阿室への布教を願い、
昭和30年、ジェローム神父は西阿室で宣教を始め、今に至るそうだ。

 

 

この、マリア観音像を拝みにいった際の裏話がある。

ここへは、同じ会社の仲間2名と、アルバイト生の男の子1名、ダマリの4名でドライブがてら来た。

ダマリは、バイト生に片思い。ダマリ31歳、バイト生20歳の夏。

 

マリア観音像を拝んだ後、教会を後にしながら、こう思った。

「○○くんと付き合って、ここで結婚式できたら、なんてロマンティックだろうか」

11歳年下のバイト生と、付き合うなんて想像もできなかったけど。

 

このマリア像を拝んだ時から2年後、彼と私は付き合いはじめ

そして、今現在に至る。

 

もしかしたら、このマリア観音像がキューピットかもしれない。