2021
22
May

MY FAMILY, RAMDOM NOTES

お別れの日が近づいたサイン

5年前の5月22日。満月の夜。日付がかわる前に、ダマリと母の後夫(記事中:おじちゃん)の前で、ダマリの母は息を引き取った。在宅介護をしていたため自宅のベッドで永遠の眠りについた。享年68歳。肺がん末期で、肝臓に転移していた。

在宅で最期を看取ることは、はじめとても怖かった。その時ダマリ一人だったら?看護師さんがいなくていいの?死んでいく姿を見守っていられる?想像しただけで怖かった。その想いを、訪問看護師さんやヘルパーさんに伝えると「お別れの日が近づいたサイン」という内容が書かれた紙をいただいた。「怖かったり不安になったら、いつでもお電話くださいね。」その一言にとても救われた。

母は、亡くなる前日にヘルパーさん達に洗髪してもらっていて「お母さん、気持ちがいいね!よかったね」という言葉に、気持ちよさそうに頷いた。そしてヘルパーさん達が帰った後、母が「痛い。痛い。薬を…」というので、強い方のモルヒネを使用した。それを使用してから、しばらくすると容体が急変した。今思えば、「弱い方にしておけば良かった……」と後悔してもしきれないが、ゼエゼエと呼吸が荒くなり始め、熱がで始めた。

そして亡くなる当日。前日から口を開けっ放しなので痰が絡みはじめた。痰の吸引機の使い方の説明をうけ、母の痰を時折吸引し、濡れたタオルで口の周りや中を湿らせた。高熱のため背中は汗でぐっしょり。タオルを変えながら、「そろそろお別れかもしれない」と腹をくくりはじめた。問いかけにも反応できなくなっていた。

「お別れの日が近づいたサイン」の紙に何度も何度も目を通し、⑧項目の鉄が錆びたような血の匂いはしないかチェックをたびたび行い、21:00頃、母の足の裏が紫色になりはじめたことに気づいた。⑨項目「手足が冷たくなり、紫色になってきたら、半日です。」

側でTVを見ていたおじちゃんに「おじちゃん、お母さんの足が紫色になってきてる!!!」と言うと、おじちゃんも状況を確認し察した。そこからダマリとおじちゃんは、母に「ありがとう」を言い続けた。手足が紫色にどんどん変化していくと同時に、呼吸もだんだん浅くなってきた。そのうち、あっという間に顔も青白くなってきて、呼吸も虫の息。「お母さん、大好きだよ!ありがとう!ありがとう!」ずっとずっと声をかけ抱きしめ続けた。

息が止まり、穏やかな顔で母は眠りについた。母を抱きしめていた時に気づいたお腹あたりの脈がまだ「ドクンドクン」と動いていて「人って息が止まっても、体の脈は後から止まるんだ」とそんなことを思いながら、その脈が止まるまで静かに見守った。

脈が止まり本当の死を確認し、母・ダマリ・おじちゃん・愛猫ヒラだけの静かな時間をしばらく過ごした。その後クリニックや親族に電話をいれ、そこからは、あれよあれよと人が押し寄せ騒がしくなった。ダマリは、おじちゃんとそして愛猫ヒラで、母を静かに看取れ、心ゆくまでお別れができて、本当に良かったと感じたし後悔はなかった。病院で亡くなると終始騒がしいし、すぐに葬儀屋が来てしまう。母は「生」と「死」を身を持って、ダマリに最後の最後まで教えてくれた。